歴史
元文 5 年(1740)に尾道の町奉行に着任した平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の寛保元年(1741)に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築きました。
その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神としました。
尾道港素庫建設の由来と故・児玉喜三氏の功績(現代語訳)
尾道は古くから、兵庫・下関と並ぶ中国地方の重要な商港として知られてきました。しかし、港に不可欠な「素庫(倉庫)」が整備されておらず、かねてより不便を感じる場面が多々ありました。
時代が進み、交通と輸送手段が大きく発展し、鉄道や蒸気船で大量の貨物が一度に運ばれるようになると、荷物を港の岸壁に直接置かざるを得ず、雨風から守る手段も不十分で、荷主にとって大きな不安となっていました。これにより商機を失うことも少なくありませんでした。
こうした中、明治 23 年、児玉喜三氏が尾道港組合の問屋組長となり、この港の設備不足が市の商業衰退につながることを深く憂いました。彼は昼夜問わず思案を重ね、まず倉庫建設の資金計画と資金運用の仕組みを自ら立て、実現に向けた行動を開始します。
他の商港を視察し、比較検討を行ったうえで、尾道港に必要な素庫の建設を計画。長年の努力を経て、明治 44 年にはようやく機が熟し、県や市の関係者と度重なる協議の末、市営施設として公設し、その費用は組合問屋が蓄えた資金から寄附されることとなりました。
そして、まず薬師堂浜にて以下の素庫が建設されました:
- 第 1 号倉庫:75 坪(大正 4 年 7 月 10 日竣工)
- 第 2 号倉庫:78 坪 5 合(大正 5 年 3 月 29 日竣工)
- 第 3 号倉庫:75 坪(大正 8 年 1 月 11 日竣工)
総工費は 7,070 円余りにのぼりました。さらに児玉氏は、将来的に倉庫を増設し、総面積を約 500 坪にまで拡充することを理想として掲げていました。
このように三棟の素庫が完成したことで、尾道港は大きく様変わりし、貨物の乾湿に対する心配もなくなり、安全かつ迅速な物流が実現。市民の利便性が高まり、業者にとっても多大な恩恵をもたらしました。
これにより、本市の商業はかつてないほどに発展していくと予想されます。この施設の整備という大事業を、誠心誠意取り組み、終始一貫して成果を挙げた児玉氏の功績は、まさに「海よりも深く、山よりも高し」と称すべきものです。
ここにその事業の概要を記し、児玉喜三氏の功績を永く顕彰するものです。
その他
アクセス
JR 尾道駅より徒歩 15 分
電話番号
| 番号 | 説明 |
|---|---|
| 0848-37-3320 | 艮神社 |
参考 URL
| URL | 説明 |
|---|---|
| https://www.ononavi.jp/sightseeing/temple/detail.html?detail_id=336 | 住吉神社 - おのなび |
| https://onomichi-cci.or.jp/hanabi/ | 公式・おのみち住吉花火まつり(尾道住吉花火祭り) |












